下米内の橋の今昔

浅岸橋

大正3年(1914)に架けられた土橋が昭和24年(1949)に欄干のついた木造桁橋(A)に生まれ変わった。しかし馬車しか通れず所々に開いた穴から水の流れを覗くことができた。橋上に並んだ下米内北潟の子どもたちの写真は昭和30年(1956)頃に撮影された。
Bは昭和43年(1968)1月2日に撮影された現在の橋ができるまでの仮橋。現在の橋よりも少し上流に架けられた橋には華奢だが優雅さが感じられる。橋の後方の浅岸側に現在も残る欅群が、また川中に極寒の時期に網でカジカを捕っている数人が認められる。
Cは昭和43年5月に竣功した現在の橋

落合橋 米内橋 大豆門橋

落合橋

Dは昭和44年(1969)5月に撮影された。石造りで現在の橋(E)よりも堅牢に見え、後方に第一豆門踏切が認められる。
Eは昭和52年3月竣功した現在の橋で、後方に横川省三の生誕地である一本松地区が見られる。

米内橋

Gは昭和24年(1949)9月竣功の現在の橋。
Hは昭和17年(1942)完成した東北電力発電所現在は無人の発電所だが、当時は数棟の社宅もあった。

大豆門橋

それまで丸木橋だったが、伊勢沢地区住民の要望により平成2年に市によって竣功された。並行して奥に山田線の第一米内川鉄橋が架かる。

幻の仮橋

佐倉地区と一本松地区を結んだ丸木の仮橋。いつ頃出来たかは不明だが、大水による流出と再建が繰り返されたという。多くは山から切り出した杉の木を佐倉、一本松、伊勢沢の人々で組み立てた。橋の上流は淵になっていて、泳ぎ場として利用された。橋は農作業の行き来などに利用されていたが、車の普及や山田線の線路横断の危険性などから昭和60年頃に廃止された。Fは昭和50年(1975)頃に撮影された仮橋近くの淵で泳ぐ一本松の子どもたち。

2022年1月31日

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