八雲神社

八雲神社

 南部藩領の修験山伏の霞支配堂分布と云う古い記録に、上田通り下米内村北潟に天台系本山西福院に属する別当正学院牛頭天王あり、又南部藩領内絵図にも下米内北潟の所に牛頭天王と記録されてあります。

 古書に牛頭天王とは素盞鳴尊(すさのおのみこと)の別称で疫神として夏期にお祀りして災害を免れることをお祈りしたとあり、又寛文二年 (一六六二)盛岡に牛頭天王を祀ったとの記録があります。

 戦前は八雲神社と言わず、下米内のお天王さんで通っていましたが、昔は修験山伏の修験の場として格式の高い霊場であったと思われます。

 神仏混合時代を過ぎていつの間にか、農業の守り神に変り八雲神社となったと思われますがその由来はわかりません。

 お祭りは旧暦六月十三日に行われると聞いていますが、荒神様でお祭りの日には荒ぼい事が起ると云われていました。理由はわかりませんが、お祭りに神前に新しく出来たきうりをお供えする習しとなっていました。

 かつてはお祭りの日の人出は浅岸の薬師様をしのいだと云われていましたが、一時すたれ、昭和五十八年町内会により復活しました。

2022年1月29日

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