峯の薬師堂

峯の薬師堂

 米内川と中津川の合流点に突き出た山を、昔から薬師山と呼ばれていました。中世期不来方城の城主不来方氏が、東北の守護のため慈覚大師がお作りになった薬師如来を、薬師山の峯におまつりして平安をお祈りしたことから米内薬師堂と呼び、又土地の人々は峯の薬師堂とも呼びました。

 南部藩の時代に変っても東方の守りとして厚く保護され、お祭りの日には多勢の参詣人でにぎわったと伝えられています。

 いつ山を降りて米内薬師堂が浅岸薬師堂になったのかわかりませんが、おそらく明治の廃仏の激動時代ではないかと思います。

 中学生 (現盛岡一高)時代の秋おそく、落合橋の左たもと附近から薬師山の峯伝いに細い道を登り、薬師堂の跡を探したがわからず、雑木林に入って茸を取って帰ったことを覚えております。

2022年1月29日

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