大豆門権現

大豆門権現

 古い記録に南部の修験山伏の修験場として岩手郡下米内村大豆門に、天台系本山西福院に属する正泉院神宮山別当院坊大豆門権現とありと、あります。

 院坊のあった場所は舘山裾を廻り北側に当る台地附近で、明治四十三年の米内川の大洪水の際、山崩れで流失した権現堂のあった所ではないかと思われます。

 権現とは古時の勅許の神号の一つで衆生済度のため佛菩薩の仮りの形を現したもので高い格式のある神社とされております。

 昔はおそらくこの場所に立派な堂宇宿坊が建ち並び修験山伏達が大勢訪れ、修験の場として、又霊場として栄えたことと思います。あるいは五重の塔などもあったかも知れません。

 又こんな物語りも残っております。舘山の北側中腹の杉の森の中に大豆門権現様の名残りと思われるお堂がありました。ある年の米内川の大洪水の時、その場所に山崩れが起き、お堂も杉も濁流の中におし流されていきましたが、其のお堂の上に白髪を長く生した一人の老人が立っているのを人々は見ました。

 人々は権現様が洪水を利用して他所にお遷りになったと思い、この洪水を白髪水と呼び、再びお堂を建てることはありませんでした。

 今は其の附近は畑地となり昔を偲ぶ何物もありません。近くに大豆門遺跡があります。

2022年1月29日

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