まえがき

まえがき
 戦前までは戸数百戸足らずの農家を主体とした静かな部落で、戸締りをしなくてもめったに盗難も無かった平和な下米内もいつの間にか開発の波が急速に進み昔の面影が次第に失われていくようになりました。

 かつては雪の消えるのを待ちかねて、「はきご」をさげて田螺をとった永福寺山下のやつ田も、中ぜきの土手いっぱい紫の花を咲かせたかきつばたの群生や、岸辺に薄紫の可憐な花を咲かせたわすれな草も今では見る事が出来ません。

 「田かき」の始まった五月雨の夜、けたたましく鳴いたくいなの声も、夏の夜の川面いっぱいひびかせて鳴いた中津川の河鹿の声も、とうの昔に聞けなくなりました。又、中津川の流れに沿って上に下に飛び交った蛍も消え去ってから幾年になったことでしょうか。

 夏の夜更けに皆息をひそめ遠く山手から聞こえて来る佛法僧の声を聞いたと言っても今では信ずる人もいないと思います。

 これも時代の流れで是非もないと思いながらも、古老から聞いた物語や、自分で見てきた色々な事がらを今書き残さなければ、永久に消え去ってしまうのではないかと思われましたので、ここに昔を偲び下米内の伝説や歴史を後世まで云い伝えることができれば幸いと考え、つたない文章ですが書き止どめることにいたしました。

平成元年八月 長澤 等

2022年1月28日

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