下米内舘

下米内舘

 昭和六十三年、盛岡市教育委員会により下米内落合の縄文遺跡の発掘調査が行われた際、遺跡内に中世期の頃の建物の跡と堀の跡が発見されました。建物の跡はやや高い部分にあってそれが三棟、堀はその南側で東西に走って五十五米が確認され、深さは一・五米、巾は四米の規模をもっており、中世期の舘の形式をしております。市教育委員会では、遺跡後方北側にある佐々木舘の附属建物だろうと云っておりますが、佐々木舘は山域であり、敵に攻撃された場合真先に攻撃を受ける平地に、わざわざ附属建物を建てる必要があったであろうか?

 中世期といえば、三戸の南部藩が岩手郡米内村に進出し、下米内舘の主、元信弥六が浅岸方面に脱出したと伝えられた頃であり、建物の形態からしてどうしても下米内舘跡と思われてなりません。

 今は遺跡は再び埋め戻されて住宅地に変り、勿論舘跡も消え去り古時を偲ぶ何物もなく、下米内舘は永久に消えて話題になることがないと思いますが、私は、私なりに、下米内の中心地であった下米内舘跡と信じてゆきたりと思っております。

2022年1月29日

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