中ぜき

中 ぜ き

 下米内、山岸地域から関口方面の田地をうるおすため、大豆門地内米内川の大渕から取り入れた用水路があり、旧藩時代から農業用水ばかりでなく、地域住民の生活に大きな利益を与える重要な水路として管理されてきました。

 大豆門地内を通り、舘山南裾で寺並側支流と分かれ、本流は落合、北潟両地区と、寺並地区の境界線を作り、一直線に西に流れ、永福寺山の裾を廻って山岸地区に流れ込みます。この本流が、落合、北潟地区と寺並地区の中央部を流れているので中ぜきと呼びました。

 この中ぜきは私達の子ども時代の楽しかった思い出の遊び場所でありました。

 土手のかきつばたの群生、岸辺のわすれな草の可憐な花も眼に残ります。草の中から見つけたすかんぼうを折り取って噛んだ時のすっぱい味、端午の節句用の菖蒲を抜き取った時、薄紅色をした根元からほのかに鼻をついた匂なども忘れません。

 又つぼざるで雑魚をすくったり、置針でうなぎを釣った思い出の数々、その中ぜきは、土地開発により、今は姿を消してしまいました。

2022年1月29日

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