恩賜郷倉

恩賜郷倉

 昭和九年は東北地方の大凶作で、穀物の収穫はほとんどありませんでした。現在のように他からの援助も容易でなく、この対策として平素から穀物を備蓄して置く事が考えられました。そのために政府の援助で村単位に倉庫を作り穀物を備蓄する制度が定められ、これを恩賜郷倉と云いました。

 下米内には元々八雲神社境内に農家の人々が共同で同じ趣旨で建てた板倉がありましたので、そのまま恩賜郷倉に変ったようです。

 戦時中、一時武器倉庫になったこともありましたが戦後取りこわされ、その跡に現在の八雲神社の氏子の集会所が建っています。

2022年1月29日

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