旧市道北潟名乗線

旧市道北潟名乗線

 北潟から国鉄山田線の踏切を通り、寺並に出て道を横ぎり寺並山の洞に入ります。現在の和敬荘の正面附近から真すぐ杉の大木の並木が続く幅一・五米位の道が洞に入って、急に上り道となり、左側に下米内の農家の人々が家畜の霊を祀った馬頭観音様があって、そこを上り切ると、永福寺山から通ずる道と合します。

 この地点を股引沢頭といいます。ここから峰づたいの道を通り県道小本線の名乗坂に出るのですが、この道が旧市道北潟名乗線であり、昔弘法大師様も通ったことのある小本街道の古道であると伝えられています。

 股引沢頭から西に向かって二本の沢が走って股引のかっこうをしているので土地の人々は股引沢と呼びその中間の小高い山を離れ島と云いました。離れ島は秋は茸取りの場でもあり、又霞網で渡り鳥を獲るおとり場のあった所であります。

 股引沢頭から峰づたいの道を行くと左手の山頂から血を流したように赤い土砂まじりの岩石が露出して股引沢に向かって幅三米、長さ百米位走り下りており、これを「赤たくれ」と呼びました。

 この山一帯は紫の桔梗の花と黄色いおみなえしの花でいっぱいのお花畑となり、土地の人々は旧盆に佛前に供える花取りに出かけ、これを盆花取りと云いました。又山頂附近は秋のハスパ実取りや、山ぶどうがり、晴れた日には眼前に岩手山がそびえて眺めもよく、子ども達の山遊びの場でもありました。

 峰続きの道が、おえな沢頭に出る所に、「つづき石」があります。大きな岩石の真中を削り開いて段々になった道を通した所で、ここを通る人は小石三ケを積み途中の無事を祈ったそうです。戦前までは右側に小石が小高く積まれてありました。この附近一帯は茸の宝庫として知られていたところでもあります。

2022年1月29日

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