七十刈

七 十 刈

 舘山の南裾を廻り大豆門に入ると、その附近を七十刈と呼んでいます。南部藩では刈高制を取り、水田三坪を一刈としており、一刈三坪が七十ある水田との意味で、旧藩時代、藩が下米内村の検地を実施したとの記録がありますからその名残り思われます。

2022年1月29日

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