北 潟

北 潟

 下米内字北潟は中津川の右岸地帯で、川の増水の度毎に川岸が削り取られ、あちこちに潟のような水溜りが出来ましたが、川の北側に位置するのでその地名となったと思います。

 川岸にはいたる所に清水が湧き、少し掘って石で囲むだけでこれを「すずっこ」と言って飲料水とし、川岸の人家では井戸を掘る必要はありませんでした。

 「すず」とはアイヌ語で「清水の湧き出る所」との意味であると云われています。戦前までは北潟一帯の中津川は水量も多く、川魚の宝庫で、春のくき瀬、夏の鮎、うなぎの置き針釣り、晩秋の霜雑魚、冬のすが割り雑魚、増水時の岸すくい等、たいていの家庭では台所にたれ下がって居る「べんけい」に竹串をさして焼いた雑魚が絶えることがありませんでした。

 「べんけい」とは稲藁を長さ三十センチ位、直径十五センチ位の束にして数ヵ所を結いつけたもので雑魚をさした竹串をさし込んだ様は武蔵坊弁慶が衣川の戦いで全身に弓矢を受け、立往生をとげたと云う形に似ているので名付けました。

 又すんだ声で夜半まで鳴いた河鹿の声を聞きながらの川岸の散歩も、流れに飛び交った蛍のむれも今では夢物語にもならなくなりました。

2022年1月29日

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