熊 堂

熊 堂

 盛ヶ岡山と呼ばれた永福寺山から下った中津川の岸辺近く雑木林と杉の森に囲まれて文政七年九月建立と伝えられる熊野権現様を祀ったお堂があり、土地の人々はその辺一帯を熊堂と呼んでいました。南部藩領内絵図にも、上田通り下米内熊野権現と記入されてあります。

 そのお堂も林も明治四十三年九月二日の中津川大洪水で流失してしまいました。

 大正の頃は道路沿いの小高い土手に桑畑などがあり、田甫が永福寺山下の杉の森に続いて淋しい場所で、永福寺山から狐が下りてきて人をばかすと言って昼でも女、子供は一人で通りませんでした。大人は山岸の丸一でもっきり酒を飲んで帰宅途中、熊堂の土手で寝込んで土産の魚を狐にとられたなどと話が伝わりましたが、実は魚代は二盃目の酒代になったのだとも云われています。

2022年1月29日

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