一本松

一 本 松

 下米内字一本松、戦前は戸数三戸、高洞山麓の熊野方面に草刈やわらび取りに行く人の通る一本の道路が通ずるだけの山間の地で大正の末期までは米内川の左岸近くの山頂に下米内のどこからでも眺められる樹齢数百年とも思われる枝振りの見事な一本の巨大な老松が四方を圧っするかの様に聳えていたのでその地名になったと聞いています。

 その幹が私達子ども四、五人が手を繋いで一まわりする程の巨大な老木もいつの間にか枯れて切り倒され、一本の材木となり雪の道を数十人の人々がかけ声をかけながら町の方に運んで行った光景が今でも物悲しく眼に残っています。

 地内に日露戦役の殉国の士横川省三が慶応元年、南部藩士三田村勝衛の子として生れ、幼名を勇士と呼ばれた時代を過ごした屋敷跡があります。

2022年1月29日

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