街灯の設置と下米内地区のバス停留所

街灯の設置と下米内地区のバス停留所

 昭和40年代、街灯は防犯灯として10数カ所であった。その後、毎年3~4カ所増設を行い、中津川ニュータウンの宅地造成と住宅建設に伴い、平成3年(1991)に佐々木義雄副会長が中心となり、街灯の増設に努めた。

 電気料は町内会負担で毎月東北電力に支払っていたが、毎年4月の電気料支払いは町内会費が入金されるまで会計部長が立て替え払いをしていた。なお、平成25年度から電気科の支払いは盛岡市が直接東北電力に支払いする制度に移行しているが、町内会が独自に設置した電柱の維持管理費は町内会負担となっている 。

 その後、佐々木副会長が街灯の増設と蛍光灯への切り換えを推進し、電気料の軽減に努めた。白熱灯電球から蛍光灯への切り替えでは、「虫が集まって困る。夜明るくなって眠れない」等の苦情が寄せられた。

 街灯は住宅の増加により、10数灯から50数灯、さらに100灯と増加し、現在200灯を超える街灯が地域の夜を照らしている。また、平成30年(2018)から盛岡市により蛍光灯からLEDに切替工事が行われたことにより、それまで毎年数カ所の電球交換等の修繕工事が行われ、工事費は町内会が負担していたが、LEDの導入により修繕工事がほとんどなくなっている。

バス停留所

 昭和50年(1975)代に下米内を通るバスが、バスセンター発で銭掛行が運行された。中学校統合の足確保である。(浅岸中学校は1980年に下小路中学校に統合)

 下米内地区には停留所が浅岸橋と落合橋に設けられ、一日三往復の運行と記憶している。その後、バスが浅岸を水道橋まで折り返しで運行されるようになった。浅岸橋の架け替えで、バスは下米内を一方通行で浅岸橋と落合橋で停まり、乗降ができた。浅岸地区の区画整理事業の推進により、バス運行ルートの変更と銭掛線廃止により、浅岸橋停留所が廃止、落合橋停留所は浅岸二ツ森に移動された。

 このことにより、下米内地区はバスが走っていても停留所が無い状況となった。よって町内会ではバスの交互通行とバス停留所設置を盛岡市とバス会社に要請したが、これに対する回答は「交互通行は浅岸橋・落合橋の幅が狭い、また、川に沿ったガードレール側に停留所は設置できない。停留所は出入り口や消火栓・道路の勾配等で設置できない」というものであった 。

  停留所設置について浅岸橋付近や堰堤近く、あるいは落合橋等を候補にバス会社と交渉したが、「浅岸橋付近は出入り口や交差点になっており、警察の許可をもらえない。落合橋は県道がカープしており、安全上設置できない」と、なかなか解決の糸口は見つからなかったが、最終的に堰堤近く(一丁目)と落合の2カ所に停留所を設置するという案で解決し、一方通行ではあるが 、バスの運行と停留所が現行のとおりとなっている。

下米内地区のバス停留所の一つ

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