ごみ集積所・資源回収(日常生活における環境問題)

ごみ集積所・資源回収(日常生活における環境問題)

 昭和45(1970)年以前は、下米内地区での家甅ごみは自家処理だった。自分の敷地で焼却もしくは埋めて処理していた。

 ガラス・陶磁器・金属類は4~5カ月ごとに、市による回収が落合橋と浅岸橋で行われていた。昭和40年代~50年代にかけて住宅の増加に伴い、市でも月に数回、燃えるごみ、燃えないごみの収集を行った。集積所は落合橋の山際と浅岸橋際の2カ所だった。

 また、子供会が毎月資源回収を行い、活動費に充てていたが、落合橋際は山積みされたピン、缶、紙類(新聞・ダンポール等)の仕分けを悪臭の中、午前8時頃~午後1 時過ぎまで行い、その後、業者が積み込みを行った。資源となるビン、缶、紙類が分類されず、また、数週間前から置かれるので、当番の方々は大変だった。その後「分ければ資源、混ぜればごみ」を合言葉に、資源回収は継続され、子供会と新たに加わった老人クラブ( 倖せ会)の収人源となった。

 資源回収は現在も続けられ、一丁目3番地内、中津川と米内川の合流地点、ニ丁目児童公園の3カ所で、4月~12月までの第3日曜日に行われている。(資源回収のいきさつについては後述)

 昭和58(1983)年から下米内字北潟、寺並、落合地区の水田を埋め立て、東京土地による宅地造成が行われ、中津川ニュータウンとして売り出され、毎年100軒以上の住宅が増えていったが、ごみ置場は依然として落合橋と浅岸橋際の2カ所だった。当時、市によるごみの回収は午後2時過ぎだったため、近所の方々は悪臭と生ごみの散乱に悩まされた。

 特にも、浅岸橋際の集積所(一丁目)に隣接する方々の苦痛・不満は大変なものだった。当然、二丁目で発生するごみは二丁目で処理すべしとの声が高まり、平成3年(1991)6月19日水曜日から、二丁目(県公舎角「当時は空き地だった」、児童公園前水路上)に新たに設けた集積所でのごみ収集回収が開始された。

 一丁目も落合橋・浅岸橋際は廃止となり、一本松・一丁目取水場隣・一丁目5番角でのごみ収集が開始された。

 町内の世帯増に伴い、町内会ではごみ置場増設を市に要望したが、集積所を多くすると収集に携わる人員・経費増になる。また、道路に置くのは交通の支障になる等の理由で認められない。一方、町内の居住者は、自分の家の近くに集積所は設置させない。ごみ問題に口を出すと自分に降りかかる等、ごみ問題は「触らぬ神にたたり無し」で経過していった。

 その後、県公舎が建設され、付近居住者は悪臭と生ごみ散乱に悩まされたが、集積所隣接の平野喜三さんが「ごみ置場をこのまま放置できない」と行動を起こし、町内会長や環境部長、盛岡市に懇願し、町内会要望として増設を市に要望したが、なかなか認めてもらえずに数年経過した。

 平成10年(1998)には二丁目ごみ集積所隣接の宅地化で移設要請され、集積所に搬入している有志の方々が、「ごみ集積に伴う苦痛を特定少数の班員に押し付けないために、すべき我慢を共有し、現実のごみ収集に伴う諸問題を常に当事者として認識し、連帯して改善につなげる実行性の高い方式として、集積所定期移動方式を選択する」という、ごみ集積新方式で合意に達した。この理念で町内会役員が市にごみ集積所の増設を要望したが、認められなかった。

 これに対し、町内会役員の川口高樹さんが市に対し、「本町通は各戸ごとに路上に生ごみを出している。ごみ置場・収集の基準・集積所1カ所の使用世帯数の基準はどうなっているか」との質問に、市からは「1カ所の集積所は30世帯以上が基本である」との回答えあった。

 平成12年(2000)4月にごみ問題対策委員会が設置され、委員には一丁目の千葉國隆さん、杉村禮司さん、二丁目は川口高樹さん、平野喜三さん、下川原弘志さんが選出され、再度市に対しごみ置場増設の要望がなされた。

 また、山岸福祉推進会主催のごみ減量懇談会においても、下米内町内の550世帯5カ所ごみ集積所問題と増設、町内会の資源回収の状況等を説明し、協力を仰いだ。

 これらの取り組みの結果か、その後、市より増設許可の回答を得ることができた。ただし、ごみ置場の新設は下記の条件が提示された。

*集積所はごみ収集車が通行できる場所であること。

*行き止まり道路やUターンできない道路に集積所はつくらないこと。

*集積所は関係する市民の皆様が決め、申請すること。

*集籍所は30世帯に1カ所くらいにすること。

 この回答を得て、ごみ間題対策委員会では、集積所は約30世帯に1カ所を基本に設ける。/設置場所はその区域の関係する方で決める。/毎年順番に集積場所を変える。/清掃管理の当番を集積所利用者で決める。/カラス・猫等の防止の網は町内会で支給する。等の取り決めをした。

 平成12年(2000)5月10日、ごみ問題対策委員会は同年の4月17日~26日にかけての町内会員の話し合いの意見集約として、次の「ごみ集積の在り方、その見直し」と題する下記内容の文書を全世帯に配布した。

基本的考え方

 皆が出し続けるごみなので、皆で少しずつ分担し、お互いに協力しながら対応していくようにします。「自分がよければ、隣人の迷惑はかまわない」から「自分もよくて、隣人もよい」やり方に変えようということになりました。

ごみ集積の仕方の棊本的約束

 1集積所を1カ所に固定するのをやめる。(一定期間過ぎたら移動する)

 2集積所設置数を増やす、1カ所ごとの集積量を減らす。

 3集積場に割り振られる区割り、ごみ管理のしやすさを、共用する人々の日頃の様子、また道路事情、新たに加わる世帯数などの条件を含めて工夫する。

 4今後もより良いやり方を探す努力を続け、いろいろな事情の変化を視野に人れ、町内会は有効な対策を講ずる努力を怠らない。

このことをもとにさらに話し合いが継続され、以下ような了解事項が確認された。

 1一丁目は9区割り、二丁目は10区割りとし、区割りごとに1カ所の集積所を設ける。伊勢沢、大豆門、馬場野、一本松地域は一本松に。二丁目17班と佐倉は一丁目の区割りとする。

 2集積場所の移動順番、清掃当番は各区割り事に取り決める。

 3大きな通りに面している区割りでは、ごみ回収に支障ない範囲で、小刻みな移動は自由とする。

 4ごみ集積に伴い、必要備品は町内会で負担する。

 5ごみの出し方(自分にあてがわれている集積所のみを利用する)、ごみを出す日時は厳守、ごみの種類 ( 可燃・不燃・資源 ) の分別を徹底する等 。

 かくして、平成12年(2000)8月1日にごみ集積所設置届とごみ収集依頼書を市に申請し、同年9月4日(月)より20カ所の集積所でごみの回収が実施された。

 現在は上記の了解事項にプラスして、以下のことが町内会員に周知されている。

 1年度途中の集積所の移動はできません。「固定集積所」が原則です。

 2自分の区域の集積所以外へのごみの持ち込みはできません 。

 3ごみは午前7時~8時30分の間に出してください。

 4ごみの区分(燃えるごみ、資源ごみ、燃えないごみ)は正確に行ってください。

 5生ごみの取り扱いには十分注意してください。カラス、猫等の被害防止

 6ごみ集積所の清掃には、みんなで協力しましよう。

 7資源回収に協力願います。紙類(新聞、チラシ、ダンポール、雑誌等)、ビン(益ビン、雑ビン色別)、缶(アルミ、スチール)は町内会の資源回収に出しましよう。

 平成25年(2013)には折りたたみ式ごみネットが導入された。市はごみ置場のカラス、猫等の生ごみ散乱防止とごみ収集の業者委託の推進、また、経費節減から集積所の固定化を図り、設置費の半額補助をし、町内会では集積所を固定化している8カ所から順次導入を始めた。

折りたたみ式ごみネットの導入のいきさつ

 ごみ置場は先輩の役員の皆様の並々ならぬ努力によって21カ所に設けられている。その管理は班ごとに持ち回り当番で行われている。折りたたみ式ごみネットを設置する以前は、それぞれのごみ置場に3~4m四方のネットをかぶせてネット周辺に重石として石やレンガを載せていたので、度々カラスの被害に遭ってごみが散乱し、周辺の方々は迷惑を被っていた。また、当番の方が仕事で日中不在の時にはネットの片づけや清掃整理がタ方以降となるため、市の収集が終わってもごみ置場にネットは放置されたままで、美観上問題でもあった。まして、当番の方は収集日にごみ置場にネットを配置し、収集後には周辺を整理清掃してネットをたたんで自宅へ持ち帰って保管する。降雨時や積雪の中での当番の苦労は大変なものだった。これに加えて、ご多分に漏れず、当町内会も核家族化と高齢化が進んだため、当番作業の軽減が避けられない時期となっていた。

 そこで、これらの問題を解決すべく、盛岡市の補助制度を活用して、折りたたみ式ごみネットの導入を検討した。折りたたみ式ごみネットは固定施設とみなされるので、盛岡市の補助申請に当たっては設置場所の所有者の承諾書もしくは占有許可書の添付が条件となる。道路占有許可申請手続きの事務作業や折りたたみ式ごみネットの設置作業が、町内全域で一斉に対応し切れないのではないかと懸念されたため、段階的に導入を図ってきた。当面、設場所を3年~5年固定として、その後の場所や設周期間については、利用する班ごとに協議してもらうことにしている。

 設置以降、次の効果が認められる。

①当番の作業は、収集日の朝に折りたたみ式ごみネットのロックを外して展開設置することと、事後の清掃だけで著しく労力が軽減された 。

②カラス被害が激減し、衛生上の問題も少なくなった。

③美観上も問題ないと思われる。

◎収集車の作業はほとんど10時までには終わるので、ごみ置場が近くて迷惑する、というような悪いイメージも変化するのではないかと期待される。

◎折りたたみ式ごみネットにしてからもカラスの被害は時々出ているが、ネットを展開する際の気配りやごみの出し方を工夫すること(袋をできるだけ奥に並べる、生ごみはネットに近づけない等)で防げる事例が多いように見受けられるので、被害ゼロを目指して利用したいものである。

資源回収の始まり

 昭和56年頃、山岸小学校のドッジボール大会で下米内の子供会チームがあれよあれよという間に優勝した。

 市子連の大会に出場するようになり、ゼッケンをつけるようにとのことだったが、子供会にはお金がなかった。選手のお母さんが、お父さんの古くなったワイシャツでセッケンを作ってくださり、それをつけて出場し、市子連の大会でも優勝した。

 そのとき、資源回収し、その益金でゼッケンを作ろうということで、子供会と老人クラブで資源回収を始めたのが昭和57年頃です。当時は今の半分以下の世帯数でした。まだニュータウンもなく、子供会と老人クラブでも大変だったが、だんだん世帯数が増え、資源の出し方も今のようでなく、洗いもせずに出されて困った。匂いが付き、回収のあと着替えをしなければならなかった。

 ニュータウンができ、世帯数も増えてきたので、子供会と老人クラプだけでは無理になり、現在のように町内会として資源回収をするようになった。

2023年6月10日

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