下米内礼賛

下米内礼賛

 発足当時(昭和45年)の町内会では、昔からの在住者と新たに町民となった方々との融和に非常に気を使ったようです。一時的に途絶えていた八雲神社のお祭りもそういったことから、融和を図る一つとして「下米内まつり」として復活され、現在も毎年の恒例行事として続いています。しかし、当初懸念された昔から住んでいた数の少ない住民と、新しく移り住んだ多くの住民との間の隔たりや争いは全くないといっても過言ではないほど、お互いが謙虚に、そしてお互いに状況を受け入れ、同じ町民として下米内が、自分はもとより家族と共に生活する家庭のある場所になったことは非常に喜ばしいことだと思います。また、盛岡市の広域都市計画では、下米内一丁目、二丁目は住宅を保護し、住宅が中心の地区に指定され、工場や大きな店舗などの建築には規制がある地区であり、さらに、米内川と中津川の合流地は盛岡市の自然保護区域に指定されています。

 「夜、犬を連れて町内を歩くと、時折、和敬荘の裏山から鹿の鳴き声が聞こえてくる。そしてフクロウの声も。薄暗い夜明け前、自宅の庭を横切る犬・・・?キツネだ!

 キジが来て甲高く鳴き、中津川にはサギが小魚を狙いジーッと浅瀬に佇んでいます。初夏には米内川、中津川合流地点に数は少ないがホタルが飛び、秋には鮭の遡上が見られ、冬には数羽の白鳥が飛来して餌をねだり・・・」と、まだ下米内の自然は、昔のままです。

 このような下米内は生活環境の落ち着いた、静かな住宅地ではないかと思います。そして、一本松、佐倉、伊勢沢地区には、緑に囲まれた中を、以前盛岡市市制百年を機に市民が選んだ「盛岡百景」の一つになった自然そのままの清流、米内川が流れています。

 昭和20年代の小学生の頃は、町内のいろいろな所が遊び場でした。八雲神社を「オデノサン」(牛頭天王、お天王さん)といって、暗くなるまで友だちと遊び、中津川で泳いだり、魚取りをしたり、浅岸橋の上や川原、田んぼの土手、サナトリウムの裏山まですべてが遊び場でした。

 戦後のめまぐるしく変わった時代の流れ、今では町内を多くの車が行き交い、茅葺屋根の家や家畜も見ることもなくなり、田んぼもごく一部で、中津川で遊ぶ子どもたちもいなくなりました。昭和から平成、そして令和と年号も変わり、スマートフォンの指のタッチで一瞬にして目の前に世界や、リアルタイムの世の中のことが画面に飛び込んでくる現在、また環境問題が取りざたされている時、それでも下米内には、まだ自然のままの下米内が多く残っています。

2022年1月23日

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